人間は生まれながらにして、「自然治癒力」というものを持っている。
自分自身に備わった独自の能力であり、全ての人間が備えている。
「生きている」ということと、「自然治癒力が存在する」ということは同じ意味である。
「自然治癒力」の無い人はいない。
「自然治癒力」が自分に備わっているという事を認識して人生を歩む人間と
「自然治癒力」など自分には備わっていないと認識して人生を歩む人間がいるだけである。
「自然治癒力」が失われた状態を「死」と呼ぶ。
それは生きている人間にはいつか必ず訪れる。
自分自身に備わった独自の能力を「認識」出来ずに生きながらにして死んでいるような人間が多すぎる。
「お前はもう死んでいる」という意味の言葉を
自分自身を頼ってきた病んだ人間に対して平氣で口にする者も多い。
自然治癒力の有無に関しては年齢は関係ない。生きているなら絶対にあるのだ。
「自然治癒力」があるから生きているのだ。無くなるから死ぬのだ。
自分の思い通りになるかどうかは別の問題である。
そもそも自分の思い通りになることなど人生においてどれだけあるだろうか。
ただ、自分の思い通りになることもあるのである。
自分の思った以上の感動的な出来事が起こる事もある。
自分自身に備わった力に氣付き、心から湧き上がる感謝の感情。
施術者に対してではない。自分が生きているということに対しての感謝である。
その面白さが「自然治癒力」というものに秘められた最大の魅力である。
当院はその追及に邁進するのみである。
常識の世界が「自然治癒力」を否定するなら、当院は進んで非常識の世界へ邁進する。
常識か非常識かなど、どうでもよい。目の前には事実があるだけである。
今、生きているのに勝手に死ぬな。ご先祖に対して失礼である。